ずっと前に、「おまえの青春もう終わりだよ」と言われたことがある。
小学校の卒業式が終わり、あの独特の開放感に包まれながら、いつもつるんでバカ話をしていた友達との会話の中で出た台詞である。別に深い意味もなく、やや斜に構えて、批判精神をはき違えたような、まあちょっと早めにやってきた中二病の集団感染みたいなものだったと思う。言われた私は実際当時からオタクだったし、世に言う青春などというものとはあまり縁がない気がしたし、その言葉は失礼極まりないながらも正しいと思われて、ひでえなあ、と笑った。
その「言い得て妙」な感じからか、その後約十年の間、ときどきこの言葉を思い出した。確かに青春してないなあ、とか、今ちょっと青春帰ってきてたんじゃないの、とか、折に触れて。
大学を卒業してまる二ヶ月が過ぎた。東京を去ってからはだいたい三ヶ月。
ずいぶん今の環境にも慣れたと感じているけれど、それでもふと、大学生だったころのことを思い出す。結構な頻度で思い出す。思い出される情景は何の変哲もないものばかりなのに、やけにすばらしいものに見えるから、持て余してしまう。
やけに活気のあった町田。閑静な高井戸。
彼女に連れられて、しょっちゅう出掛けた新宿は、私の知る東京の縮図だった。梅酒のおいしい居酒屋さん。着物に夢中の彼女を尻目に小物や生地の柄ばかり眺めていた呉服屋さん。伊勢丹の化粧品売り場。スープカレー屋。二丁目のビアンバーのおねえさんたち。彼女も初めて会う彼女のスカイプ友達。パリ旅行を申し込んだ旅行代理店。タワレコ。混み混みのスタバ。もっと混み混みの山手線。
遊ぶ日は目白から三駅乗って新宿、さらに三駅乗って渋谷に出ると大学。駅から宮益坂、青山通りの方にかけて、ヒカリエの建設に伴う工事がずっと行われていて、トンネルのような臨時通路を抜けてキャンパスへ通っていた。三年の終わりから四年の前半にかけて回想すると、出てくるのは専らこの薄暗い通路とPeople In The Boxと鬱々とした自分の姿だ。徒にひとは死んだらどうなるのかなんて考えたりして。死にもしないくせに。ギンナンを踏まないように歩いた秋のキャンパス。二号館前のベンチ。隙あらば行っていた道の向かいのマックとファッキンと青山ブックセンター。ゼミでお世話になったS先生の研究室の、コーヒーと煙草の匂いと、娘さんの写真。
渋谷駅から池袋方面ゆきを待つホームで、ピーチジョンの看板を眺める。一号車か、六号車の乗車位置。電車のドアにもたれて、サカナクションをよく聴いた。
そして電車は目白駅に滑り込む。彼女はいつでも合理的で一号車から、改札により近い階段を使うけれど、私はよく横着をして六号車あたりからエスカレータに乗った。
青春っていつのことを言うのか私にはよくわからないけれど。わからなかったけれど「もう終わりだな」と言って笑っていたあのときにはまだ始まってもいなかった季節が、いま確かに終わったのだ。
2012.6.4 18:31
--------------------------------
書きかけで保存されてた記事が出てきた。
イタいことこの上ないのだけれど我ながら妙に感動したので加筆修正し投稿する。
自分にしか刺さらない、自分のためだけの文章。